慶長五年(1600)に鞍手郡鷹取山麓に窯を築いた。 八山は高取八蔵と日本名を名のり、慶長十九年には頓野村字内ヶ磯に移り茶器をつくった。 のち藩主の意に反することがあって、嘉麻郡山田に蟄居して雑器を焼いた。これらを小高取と呼ぶ。
寛永七年(1630)許されて嘉穂郡合屋村白旗山麓に窯をひらき、茶器を焼いたが、承応三年(1654)に没した。 その子の新九郎が家を継ぎ八蔵と名乗った。 寛文七年(1667)に朝倉郡小石原村字鼓に移り製陶した。 製品は茶人小堀遠州の指導によっで朝鮮風を脱した高取独自のもので遠州高取という。
寛文五年(1665)には上座郡鼓村釜床(現在の朝倉郡小石原村大字鼓釜床)にあらたな窯を設け、初代八蔵重貞亡きあと次男八蔵貞明が二代を継いで活動を続けた。
福岡藩主四代の綱政は宝永五年(1708)二月、高取八蔵の子孫を早良郡西新町大字麁原村上の山に招き、藩の御用窯として陶器をつくらせた。これを東山東皿山と呼んだ。
Copyright © 高取焼 味楽窯 All Rights Reserved.